宮崎神社めぐり
MIYAZAKI SHRINE TOUR

皇宮神社

Kogu Jinja

所在地: 宮崎県宮崎市下北方町横小路

御祭神: 神日本磐余彦尊(神武天皇)

ご利益: 家内安全、開運招福、厄除け

宮崎神宮の北西約600mの小高い丘に鎮座する宮崎神宮の摂社で、地元では「皇宮屋(こぐや)」と呼ばれています。神武天皇が15歳から、東征に発つ45歳まで宮居されたと伝わる皇居跡で、『古事記』にいう「高千穂宮」の地に比定する説もあります。主祭神は神日本磐余彦天皇(神武天皇)で、相殿に御妃の吾平津姫命と、御子の手研耳命・渟名川耳命を祀ります。創建年代は不詳ですが、旧社殿は弘化4年(1847年)に藩費で再建され、明治10年(1877年)に宮崎神宮の摂社となりました。現在の社殿は、昭和48年の伊勢神宮式年遷宮で撤下された古材を用いて昭和51年(1976年)に改築されたものです。境内には旧社殿跡や「皇軍発祥之地」碑が残ります。旧正月14日の破魔矢祭をはじめ、2月18日の祈年祭、7月24・25日の夏祭などが行われます。西に高千穂の峰を望む丘の上の杜で、宮崎神宮の参拝とあわせて神武天皇ゆかりの地を巡る人々に親しまれています。

丘の上の宮居と、東への決意

神武さまものがたり 第四章

「なお、東へ行こう」

時を少しさかのぼります。十五歳で跡継ぎの皇子となった神武さまは、生まれ育った高原の里を離れ、いまの宮崎市のこのあたりへ移り住んだといわれます。そして四十五歳で東へ旅立つまでの約三十年を、この丘の宮で過ごしました。この皇居の跡が「皇宮屋(こぐや)」と呼ばれています。

『古事記』は、皇子が日向の高千穂宮で兄の五瀬命と語り合い、「どこにいれば、天下を平らかに治められるだろう。なお東へ行こう」と心を決めたと伝えます。皇宮屋は、兄と東への旅の計画を練った場所ともいわれています。

皇宮神社は宮崎神宮の摂社で、神武天皇を主祭神に、妃の吾平津媛と御子の手研耳命もまつっています。江戸時代の終わりごろ、この丘が神武天皇の宮の跡とされ、いまの社殿は1976年に建て直されたものです。

東への船出のとき、ともに暮らした妃の吾平津媛はどうしたのでしょう。日南の油津には、その姫をまつる古い神社があります。

境内で出会える、物語の舞台

  • 丘へのぼる階段:駐車場から社殿までは長い階段が続き、のぼりきった丘の上に社が建っています。車いすの場合は、神社の北西側に迂回路があります。
  • 宮崎神宮から歩いて:宮崎神宮の北西約600mの丘の上。神武さまをまつる大宮と、その暮らした宮の跡を、あわせてめぐることができます。

物語のつづき:宮崎神宮(前の章:はじまりの天皇) / 吾平津神社(次の章:妃・吾平津媛)

神武さま 生誕から船出(神話モデルコース)でめぐる

物語は『古事記』『日本書紀』の伝承と、皇宮神社の由緒(宮崎県観光協会・宮崎市観光協会・観光庁の解説文などの紹介)をもとに当アプリがまとめたものです。

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