Tateiwa Jinja
所在地: 宮崎県日向市美々津3419
御祭神: 底筒男命、中筒男命、表筒男命、神武天皇
ご利益: 家内安全、開運招福、厄除け
神武天皇が東征の船出をしたと伝わる美々津港に鎮座し、航海の守り神である底筒男命・中筒男命・表筒男命の住吉三神と神武天皇を祀ります。天皇が御船出にあたり航海の安全を祈って三神を奉斎したことにちなみ、第12代景行天皇の御代に創祀されたと伝えられます。天正6年(1578年)の耳川の合戦で戦火に遭い、社殿や記録を失いましたが、元和9年(1623年)に再興されました。境内には天皇が腰を下ろしたと伝わる「神武天皇御腰掛の岩」があり、玉垣を巡らせて岩そのものを御神体として崇められています。樹齢300〜400年の楠は市の保存樹です。旧暦8月1日の夜明け前に天候が回復し、急な船出を告げて「起きよ、起きよ」と人々を起こして回った故事から、この日の早朝に子どもたちが笹竹を振って住民を起こす「おきよ祭り」が今に伝わります。昭和9年には御船出2600年を記念して境内の拡張と社殿の修築が行われました。
神武さまものがたり 第六章
「起きよ、起きよ」
『日本書紀』は、四十五歳の年の冬十月、神武さまが皇子たちと水軍(舟師)を率いて、東へ向かったと記します。どの港から船出したのかは『古事記』『日本書紀』に書かれていませんが、日向の北、耳川の河口にある美々津が「お船出の地」と伝えられてきました。この地で船を造り、旅立ったといいます。
立磐神社は、船出にあたって神武さまが航海の安全を祈り、海の守り神・住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)をまつったことにちなんで、第十二代景行天皇の御代に創祀されたと伝わります。境内には神武さまが腰掛けたという「神武天皇御腰掛の岩」があり、玉垣をめぐらせて、岩そのものを御神体としてあがめています。
言い伝えでは、風向きが変わり、船出が急に早まりました。村人たちは家々の戸を叩いて「起きよ、起きよ」と起こしてまわり、神武さまの衣のほころびを立ったまま縫い、間に合わなかったお餅のかわりに、もち米と小豆をつき混ぜた団子を献上したといいます。地名の「立縫(たちぬい)」と郷土菓子「つきいれ団子」は、この夜明け前の騒ぎの名残です。
こうして美々津を発った神武さまは、長い旅の末に大和の橿原で初代天皇として即位します(第三章・宮崎神宮)。高原の森から美々津の港まで、神武さまものがたりはここでひとまず幕を閉じます。
物語のつづき:吾平津神社(前の章:港町の妃)
物語は『古事記』『日本書紀』の伝承と、立磐神社の公式サイト(由緒・祭典)、日向市の紹介をもとに当アプリがまとめたものです。